母の死
ログインできず、ブログの事をすっかり忘れていた。
第一回目の投稿から約4ヶ月が経過してその間に私は28歳を迎えた。
ブログから足が遠のいてしまっていたが、今日は書きたい事がある。
タイトルにもあるように私の母が2週間前に亡くなった。
亡くなった理由は後程書きたいと思うが、
思い返すと辛いので今日は控える。
母は先月53歳になったばかりだった。
あまりにも若すぎると思うし、早すぎる別れだ。
私と母の誕生日は2週間違いで
ついこの間おめでとうLINEを送り合っていた。
普段は照れくさくて口にできない言葉を伝えていたけど
これから先もずっと伝えていけると思っていた。
産んでくれてありがとう。なんて言った事無かったし
結婚式で両親へ手紙を書いてたくさん泣かせる計画もしていた。
母の性格はとても明るく、オヤジギャグが大好きで、オナラも好きだ。
犬も好きで、何より一人娘である私の事を本当に大切に育ててくれた。
大切に育てると言ってもワガママに育った訳ではない。
欲しい物はポンポン買ってもらえなかったし、悪い事をしてたくさん怒られた。
一人っ子なので家の中で遊ぶ相手はお母さんだった。
セーラームーンになりきって母を退治すれば見事にやられてくれたし、
飼っていた「ももじろう」というウサギを題材にした「いぼじろう」というオリジナルソングを歌ってくれたり、
母自身のオナラを携帯に録音し、毎朝アラーム音がオナラだった事もある。
母は歌がとても上手かった。マイクいらずの声量が自慢だった。
一番印象に残っているのは北斗の拳の「愛をとりもどせ」を歌う母。
クリスタルキングさんだって高音と低音で分かれ2人で歌っているのに、母は一人で本家と同様のテンションで歌い切った。
(聴いた事が無い人は聞いてみてね!自分のお母さんがこれを歌っているのを想像してごらん、凄く面白いよ!)
その迫力たるや、閉じそうになった目もパキッと開いてしまうくらいの圧を感じるのだ。
母は独身の頃、場を盛り上げる盛り上げ役だったに違いない。
若い頃の写真を見返すと友人の結婚式らしき場所で母が歌っており、笑顔を浮かべた同年代の人が10人くらい母を囲んでいた。
今年の初め、カラオケに行こうよ~と言われていたが
私は人前で歌うのが恥ずかしく苦手なので「そうだね!そのうちね!」と言って連れて行かなかった事が悔やまれる。
いつでも行けるし、カラオケに行くなんて温泉旅行に比べたら小さい事だと思っていた。でも小さい望みであったとしても、もっとたくさん叶えてあげればよかった。
これからは母の分まで、
母に届くように私が「愛をとりもどせ」を歌い継ぐ気持ちでいる。
陽の光を浴びたいOL
たった今、足元のストーブが壊れた。
かれこれ3年間、私の冷え切った身体を足元から温めてくれたが
今は3年分のホコリを乗っけた、場所を取るだけのただのゴミとなってしまった。
今日は三月上旬にして最高気温21度の予報が出ている。
が、立派なビルの隣で日陰になった築50年以上のビルでは外気温などなんのその。
(ビルと言っても4階までしか無く、最上階は主に海外の方向けにシェアハウスとして貸し出されている)
このボロビルはとにかく冷え切っている。外に出て陽を浴びたほうがよっぽど暖かい。
辛いのは冬だけだと思いきや、夏は熱がこもって蒸し風呂のようなオフィスになるのだ。
おまけにエレベーターはいつ止まってもおかしくないので、外部と連絡の取れるスマートフォンを常備して乗らないといけないなど文句は尽きない。(エレベーターの中は圏外なので、もし止まってしまったら叫ぶしかない)
話を戻すが、ブログを始めようという記念すべき瞬間に、ストーブに見放されてしまった。
ロクに掃除もせず3年間こき使い、仕事中にサボってネットサーフィンをしている事などを足元から見透かしてバチを当てているのか。
問いかけても既にご臨終しているので当然返事は無い。
手先が動かなくなってきた。冷え切った空気で更に冷たくなったデスクから、腕の熱も徐々に奪われていくのを感じている。
私は第一回のブログでこんな事を書きたい訳ではなかった。
アラサーにとって冷えは大敵だ。
私は人より寒さに弱いし意思も弱いのですぐに風邪を引く。
このブログも第二回があるかは分からないが
できるだけ更新できるように頑張る。
頑張る。